道路元標 来住村
2014年01月16日
小野市下来住町(しもきしちょう)
JR加古川線 小野町駅を出て100mくらいのところにあります。
小野町駅は駅構内に「ぷらっと きすみの」という美味しいお蕎麦屋さんがあるので有名
地名の「来住」もなかなか「きし」と読んでもらえません。
「きすみ」と読んでしまう人が多いようです。
ちなみに、
小野市の住所表記は『 兵庫県 小野市 来住町』 《 キシチョウ》となっとります。
周りはこんな風景
JR加古川線 小野町駅を出て100mくらいのところにあります。
小野町駅は駅構内に「ぷらっと きすみの」という美味しいお蕎麦屋さんがあるので有名
地名の「来住」もなかなか「きし」と読んでもらえません。
「きすみ」と読んでしまう人が多いようです。
ちなみに、
小野市の住所表記は『 兵庫県 小野市 来住町』 《 キシチョウ》となっとります。
周りはこんな風景
道路元標
道路元標(どうろげんぴょう)とは道路の起終点を示す工作物である。
1873年(明治6年)12月20日政府は 太政官日誌により各府県ごとに
「里程元標(りていげんぴょう)」を設け陸地の道程(みちのり)の調査をすることを
命じている。
1919年(大正8年)の旧道路法では
各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。
ほとんどの道路元標は市町村役場の前か
市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた。
道路元標(どうろげんぴょう)とは道路の起終点を示す工作物である。
1873年(明治6年)12月20日政府は 太政官日誌により各府県ごとに
「里程元標(りていげんぴょう)」を設け陸地の道程(みちのり)の調査をすることを
命じている。
1919年(大正8年)の旧道路法では
各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。
ほとんどの道路元標は市町村役場の前か
市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されていた。
Wikipediaより
Posted by おっとしぃ at 04:57│Comments(2)
│構造物
この記事へのコメント
おはようございます。おっとしぃさん、
私の暮らす町にも「西国街道」の道標?が有ります。
往時の人の行きかいを思わずにはいられません。
私の暮らす町にも「西国街道」の道標?が有ります。
往時の人の行きかいを思わずにはいられません。
Posted by としあき at 2014年01月17日 07:54
◆ としあき さん
コメントありがとうございます。
過去記事で何度か道標をとりあげていますが
道路元標はいささか違います。
明治になってから全国一斉に設置されたようで
いずこの道路元標も同じ形をしていて
刻まれた市町村名だけが異なっているのです。
道標は古くは奈良時代から旅人のために設置された
いわば、交通標識(ナビゲーター)
対して道路元標は、国家の威信を賭けた
地図のためのもの。
おなじような石柱ですが目的はまるで違います。
コメントありがとうございます。
過去記事で何度か道標をとりあげていますが
道路元標はいささか違います。
明治になってから全国一斉に設置されたようで
いずこの道路元標も同じ形をしていて
刻まれた市町村名だけが異なっているのです。
道標は古くは奈良時代から旅人のために設置された
いわば、交通標識(ナビゲーター)
対して道路元標は、国家の威信を賭けた
地図のためのもの。
おなじような石柱ですが目的はまるで違います。
Posted by おっとしぃ at 2014年01月17日 21:35